ガンダムの著作権を富野監督が譲渡した理由とは?「僕ひとりで管理していたら(ガンダムが)今みたいに広がっていないと思います」 | ガンダム情報まとめてみた

ガンダムの著作権を富野監督が譲渡した理由とは?「僕ひとりで管理していたら(ガンダムが)今みたいに広がっていないと思います」

1 : 2017/10/18(水) 10:18:17.91 _USER9

アニメ界を創世記から支えてきたアニメーション映画監督・富野由悠季。
日本を代表するアニメ作品『機動戦士ガンダム』の原作者としても知られる富野氏を直撃取材。
『ガンダム』が世界に誇る作品に育った理由や、その著作権の行方など、知られざるエピソードを聞いた。


■自分自身が“生き延びるため”、オリジナルを手に入れるしかなかった

アニメ業界に入った当時を「TVアニメの仕事というのは社会で最底辺といってもよい仕事でした」と振り返る富野氏。
フリーになって青色申告をする際、5、6万円の経費を認めてもらうのに一苦労するほどだったとのこと。
「僕は30歳を過ぎて子供がふたりいましたが、40、50の年齢を超えていけるのか、果たして60歳に辿り着けるのか不安でした。
当時は出来高払いの仕事で、このままだと地獄だというのは目に見えていました」。
そんな時、高畑勲、宮崎駿といった質の違う人と出会えて、こんな人もいるのか!? と衝撃を覚えたと述懐する。

「高畑さんは東京大学出身でアニメの仕事をやっていて、当時の環境からしたら本気? と思いました。
しかも、東大を出ている人がムキなって僕に『アルプスの少女ハイジ』の話をするわけです(笑)」。
それを見た時、職業としてアニメの仕事をやってもいいのかな、と思えたと同氏。

その頃、富野氏はいろんな現場の仕事をしていて、自分の居場所もなかった。
そんな時、日本サンライズという会社に虫プロから独立した人たちが集まってきており、「結局こういう場所でやるしかないだろう」と日本サンライズで働くことに。
当時、日本サンライズは新興会社のため、世界名作劇場のような割のいい仕事はとれない。
富野氏は「だから巨大ロボットものでやっていくしかありませんでした。それで、ロボットものの仕事をしながら、自分はこのまま50、60歳までやれるのか…。
だったら、自分のオリジナルアニメを手にいれるしかない!」と考えたようだ。

■『ガンダム』は自分が“生き延びるために仕掛けた”

サンライズで実績を積み重ねた富野氏は、『無敵超人ザンボット3』『無敵鋼人ダイターン3』『機動戦士ガンダム』の監督を歴任。
名実ともに日本を代表するアニメ監督となった。

「当時は著作権もあいまいな時代でしたので、3本目の『ガンダム』の時に著作権をちゃんと自分で取れるようにとストーリーを描き、映画化も視野に入れて作りました。
スポンサーを騙しながら、そういう仕掛けをつくっていったわけです(笑)」。つまり、『ガンダム』は自分が“生き延びるために仕掛けた”のであり、命拾いさせてもらった作品だと強調する。

そして、富野氏が産み出した『ガンダム』が、40年近くに渡って支持されている。しかし、富野氏はその点についてあくまで冷静に分析する。
「人気がここまで継続したことを考えれば、僕自身の“命拾い”というだけの生易しいものではありませんでした。実を言うと、僕ひとりが発案して『ガンダム』が成功したわけではない。
キャラクターデザインの安彦(良和)君、メカニカルデザインの大河原(邦男)君がいたから、でもないんです。
どういうことかというと、著作権があり、映像化権があり、商品化権があり、それぞれの権利を獲得し、それを分け合うためのシステムをどう作っていったか。
そして、それを会社という組織でみんなが意識したから今のガンダムがあるんです」。この総体的な動きについては、10年くらいたって気づいたのだという。

http://news.livedoor.com/article/detail/13763131/
2017年10月18日 8時40分 オリコン

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